将軍ちゃんの空想記

ふと思ったことを書き留めていく場所です.もし誰かの共感が得られたら幸せですね.

「人は苦労して成長するもの」に物申す

 関東は先週に続いて大雪ですね.溶けかかった雪でベシャベシャの地面を歩く羽目になった人,多いのではないでしょうか?
 さて,今日は「人は苦労して成長するもの」という紋切り型な物言いに意見してみようと思います.

苦労とは?

 よく「若い時の苦労は買ってでもしろ」なんて言われますが,自分にしてみればこの言い方もちょっとな〜と思います.要は,苦労というものをネガティブにしか捉えていないんですよね.

 何か実現したいことがあったとして,それが本当にやりたいことなら,その過程が険しい道程でも,普通ネガティブな気持ちは湧いてこないはずです.物事何でもそう簡単にうまくいかないことぐらい,10代の若者でも分かっているはずですから.

「なんでこんな苦労しなきゃいけないんだ」って思う気持ちはネガティブなものです.そういった精神状態で成す物事がうまくいくとは,自分には思えません.「その苦労は後になって自分の力になるから」というのも無責任な言葉ですよね.こういうのは,単に立場を利用して自らを権威付けしたいだけでしょう.

 もしくは,理不尽を苦労という言葉にすり替えているのかもしれませんね.

前向きな気持ちを持つ!

 本当に人を動かすのは,立場でもお金でもありません.その人をどれだけ「やる気」にさせるか,が大事ですね.

 人の心理状態や身体コンディションは,その人がどれだけ力を発揮できるかにかかってきます.昨今はそういった要素を無視して,ただ金と時間を与えておけばいい,みたいな考え方が目立つように感じます.

 タイトなスケジュールだから仕方ないという場面も多いと思いますが,ここで24時間という時間があったときに,12時間作業して12時間を睡眠その他に当てるのと,24時間ぶっ通しで作業する例を比べてみましょう.

 時間あたりの作業速度がどちらも同じなら後者の方が優れているでしょう.しかし,実際には,睡眠を取らなければ脳がリフレッシュできませんし,疲労も溜まります.個人的に,この二つの例は対して進行速度に違いがないと考えています.むしろ,リフレッシュできない後者のほうが非効率的です.残るのは「不眠不休で作業した」という意味のない感慨だけでしょう.

 

 その苦労,本当に意味がありますか?

「人は苦労して成長するもの」という誰かの言葉を盲目的に信じていませんか?

 いま一度考えてみても悪くないと思うのですが,いかがでしょうか.

レールのない世界へ

 

決断力 (角川oneテーマ21)

決断力 (角川oneテーマ21)

 

 

もうすぐ研究室配属の時期ですね.

そこで,はじめのエントリでは,「研究室に入るってどういうこと?」という視点から思ったことを書き連ねてみようかなと思います.

研究室に入ると何が変わる?

いきなり結論から述べると,研究室に入るということは,レールのない世界を歩み始めることだと考えています.研究室に入る学生のほとんどは,小中高と学校教育を受け,大学に入学した後に研究室(ゼミ)に配属され,卒業研究に取り組むことになります.
この,小中高大というプロセスは,いわば決まりきったレールのようなものです.学費を払って教育を受けるという条件はあるものの,真面目に勉強し,大きな転機がなければそのまま先に進むことが出来る.それは確実ですが多様性はありません.
しかし,研究室に入るとそこには違う世界が待っています.未だ明らかにされていない物事の探求,そして研究室独自のカルチャーという不確かな存在が待ち受けています.
研究とは,出口のない迷路を進み続けるようなものです.自分の進んでいる道が本当に正しいものなのかどうかは誰にも分からない.しかし,先人たちが残していった「これは間違っている」「これは正しそう」といった印がつけられている道もあるから,全くヒントがないわけでもない.迷路の中でいったん休むのも,別の迷路に取り組むのも個人の自由です.
さらに,研究室は小さいこそあれ,確実に一つのカルチャーを形成しています.個人の能力とは別に,研究室のカルチャーに馴染めるかというのも大きなポイントです.優秀な成績を収めていた人でも足元をすくわれるかもしれないし,逆に成績でぱっとしなかった人がすごい成果を上げることもあります.

理不尽との付き合い

つまり,今までよりも運の要素が強くなってくる世界だということです.必ずしも努力した量や費やした時間に比例して報われるとは限りません.
そんなのは理不尽だ,と思う人がいるかもしれません.確かに理不尽な話です.個人の努力に意味が無いのなら,頑張って勉強する意味などないのですから.

しかし,です.
この世の中,決まりきったレールを歩くなどということはむしろ稀です.
スポーツ選手はその最たる例です.彼ら,彼女らは同じように活躍する周りの選手たちと常に凌ぎを削り合っています.シーズン中に成績が振るわなかったら,あるいは故障で動けなくなったら次年度は同じような生活を送るわけにはいかなくなります.そのプレッシャーたるや,想像だに余るものがあります.
では,そういったシビアな世界になぜどっぷり浸かるのかといえば,自分を成長させたい,誰もやったことのないことをしたい,自分の力を試したいといった動機があるからだと考えられます.それ以外に生きる道がなかったという切ない理由もあるでしょうが…….
要は,手探りのままに新しい道を切り開いているのです.

皆さんも経験があるとは思いますが,理不尽は避けて通れないものです.それは生きている以上仕方ないものだと諦めるしかありません.真面目に向き合って解決するものでもないです.
ただ,一つの物事にじっくり取り組む時間を買えるというのは,とても貴重な機会であることは確かです.あまり研究テーマに関心が湧かなくとも.せめて時間の使い方ぐらいは考えてみて損はないでしょう.

誰も知らないことを明らかにしたい,レールのない世界を早く歩んでみたいという方は,ぜひ研究の道を切り開いてみてはいかがでしょうか.
逆に,そういった探究心があまりない人でも,これから生きる上で必要になる「理不尽に対処する力」を養ってみるのは悪くないのではないか,と考える次第です.
受け身になるのではなく,戦略的に考えるのは大事だと思いますよ.